せっかくのとんこつのダシをかつおで殺してしまったなう
「せっかくのとんこつのダシをかつおで殺してしまったなう」
という何気ない友人のつぶやき。

僕はこのフレーズに勝手に日本語の美しさを感じた。
まず、「せっかく」。
この部分でまず掴まれた。
それに係る「とんこつのダシ」がなぜ「せっかく」なのだと。
そして、その「せっかくのダシ」を「かつおで殺してしまった」という哀愁。
味見のあとの後戻りできないことをしてしまったという、苦い顔が思い浮かばれます。
また、リズムも良い!
「かつおで 殺して しまった なう」
4・4・4・2で、一定のリズムのあと最後が締まる!
言葉にデザインがあるとしたら、個人的に良いデザインなんだと思う。
(参照:2012.5.21「言葉のデザイン」)
哀愁もあり、リズムもあり、
僕はこの一文に日本のわびさびを感じたのであった。
という何気ない友人のつぶやき。

僕はこのフレーズに勝手に日本語の美しさを感じた。
まず、「せっかく」。
この部分でまず掴まれた。
それに係る「とんこつのダシ」がなぜ「せっかく」なのだと。
そして、その「せっかくのダシ」を「かつおで殺してしまった」という哀愁。
味見のあとの後戻りできないことをしてしまったという、苦い顔が思い浮かばれます。
また、リズムも良い!
「かつおで 殺して しまった なう」
4・4・4・2で、一定のリズムのあと最後が締まる!
言葉にデザインがあるとしたら、個人的に良いデザインなんだと思う。
(参照:2012.5.21「言葉のデザイン」)
哀愁もあり、リズムもあり、
僕はこの一文に日本のわびさびを感じたのであった。