我が長老、星になる。最大級の愛を込められた僕が最大級の愛を込めて。

ナガハマヒロキ

2016年04月08日 15:39

先週、最愛の祖父を亡くしまして。僕は家も近く、初孫でしたのでそれはそれは寵愛されたものでした。初めて祖父母を亡くす経験をしたわけですが、往生とは言え、これがこんなにも辛いものなのかと。今の僕は名俳優ばりにすぐに涙を流せます(オファーお待ちしています)

祖父はとにかく働き者で、モノも無い戦時中で十分な学校教育を受けることができないまま10代半ばで働き始め、それから仲間2人で畳・敷物の会社を創り(沖縄敷物商会をご愛顧ください)会社が終わっても、家の倉庫の工場でイチ職人として畳を縫う毎日。それでも自分は、服も買わない外食もしない、何ひとつ贅沢をすることもなく、家族や周りの人のために貯金をしていました。

実は当初、結婚に反対されていたのだそうで、相手の家に安心して欲しいとの思いで「自分は何が何でも仕事を頑張って家族を養う」と覚悟を決めたそうです。その覚悟を87歳までやりきったのでした。そんな一本筋が通り、時に厳格だった祖父も、晩年はただただ優しいだけのおじいちゃんでした。

遺品を整理していると、僕ら孫が社会人になって「美味しいものでも食べてね」渡していたお年玉が、大切そうに押し入れの奥から出て来たそうです。
青春時代に勉強をしたくてもできなかったからでしょう、僕が大学に合格した時は故郷である宮古の親戚の何人にも電話で喜びを報告していたそうです。
こういう一つひとつのエピソードを聞くたびに、生まれてこの方いかに愛され、僕の成長を喜んでくれたかを実感せざるを得ません。

そして死して尚、僕に大切な人が亡くなるという経験を授け、人生観を深いものにしてくれるという愛。

その日は、いつも通り夫婦で散歩をし、庭のゴーヤー畑に来年のためのネットを張る前向きさを見せつつ、自分で風呂に入って身体をキレイにしてから倒れてしまうという完璧っぷり。「今年は孫の楽しみがたくさん待ってるから逝きたくないさ~」と周りに話していたというのは正直心残り。

でも、意識がほとんどない中で伝えた感謝の気持ちに弱々しくも手を握り返してくれたこと、通夜や告別式の夜は親戚全員が揃って賑やかに思い出話ができたこと、僕ら子孫が幸せに暮らすことができていること。このことで祖父も幸せに思ってくれていたら嬉しいです。
一つの時代を生き抜いた我らが長老。そんな祖父の孫であることを誇りに思います。かわいがってくれてありがとう!

PS.さあ、おじいおばあに「オレだよオレ」と電話をしよう!